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『##NAME##』美砂乃ちゃんに脳を灼かれ続けている(ネタバレ有)

※ この記事は物語核心のネタバレを含みます。

すこし前に、『##NAME##』という小説を紹介しました。

親に求められるままにジュニアアイドルを目指していた少女が、道を諦め、自分自身の感情と向き合えるようになるまでを描いた物語です。

作中終盤、主人公である雪那は長い苦悩の果てに周囲に押し付けられた望まないペルソナから解き放たれます。自分のための人生の第一歩を踏み出すラスト。その爽やかな開放感とは裏腹に、私の頭を占めていたのは《ペルソナから逃れられなかった》美砂乃ちゃんのことでした。

目次

主人公の鏡写しの存在、”美砂乃ちゃん”

美砂乃ちゃんは、主人公である雪那と同じ事務所にいたアイドル。

もっとも、人に媚びることへの抵抗感を隠せず、アイドルとしてはパッとしない雪那と異なり、美砂乃ちゃんはジュニアアイドルとしての完璧な振る舞いと華やかさを持った、事務所のトップアイドルでした。

二人の間を繋いでいたのはアイドル活動と、ともに家に父親が居ない家庭環境です。

この物語において、雪那と美砂乃ちゃんは互いに鏡写しの存在です。ともに実名でアイドル活動をしていて、生活の中に父親は居ない。母親の意向に沿って活動を続けている。事務所のレッスンの帰り、二人はしばしば公園に立ち寄っては「互いだけが唯一の理解者だ」と、穏やかな顔で笑い合っていました。

違うところがあるとするなら、雪那は学力が高く、家に経済的な余裕があって、美砂乃ちゃんはそうでなかった点。そして、雪那は「ゆき」という自分だけの名前を手に入れたのに対して、美砂乃ちゃんは最後まで、呼んでほしいと望んだ「みさ」という名前で呼ばれなかった点です。

美砂乃ちゃんは、自分のことを「頭が悪い」と卑下し、ひとつ年下の雪那のことを凄いと褒める。雪那に「ゆき」というあだ名をつけ、押し付けられた役割以外の名前を与えたのも美砂乃ちゃんです。しかし、当の雪那のほうは、美砂乃ちゃんが望んだ「みさ」という名前で彼女を呼ぶことはついにありませんでした。

##NAME##を捨てられなかった美砂乃ちゃん

そう。物語の裏側には、周囲に押し付けられたペルソナから逃げることができた雪那と、逃げられなかった美砂乃ちゃんの対比が横たわっています。

高校生になり、雪那はアイドル活動から離れることを決意します。

雪那が事務所を辞めることを告げると、美砂乃ちゃんは真剣にアイドル活動に取り組まない雪那を強い口調でなじりますが、その物言いは周囲の大人に言われてたであろう内容の受け売り。すでに、《美砂乃ちゃん自身の意思》と《周囲に求められた人格》との境界は曖昧です。

事務所の花形だった美砂乃ちゃんは、当然、雪那が受けたより多くの悪意や偏見、搾取に晒されてきたでしょう。それでも、勉強という逃げ道があった雪那とは違い、美砂乃ちゃんの人生に、自分の意思で選べる道はありませんでした。

雪那はアイドルを引退した後、ごく普通の大学生活を送り、就活に挑みます。美砂乃ちゃんは、成人しても逃げられないまま。頭が悪く、可愛く、とびきり輝くアイドル「美砂乃」として生きることを強いられ続けます。

愛読していた漫画家の逮捕を機に、《押し付けられた人格で生きざるを得なかった自分》の痛みと怒りに気づいた雪那ですが、最後まで美砂乃ちゃんの苦しみに気づくことはありませんでした。それどころか、自分の禊は終わったとでも言わんばかりに美砂乃ちゃんに一方的な連絡をよこす様には、醜悪さすら感じられます。

美砂乃ちゃんに自分だけの名前を与えてあげなかったくせに。
結局主人公も、他人に役割を押し付ける人間の一人でしかなかった。

(この点、芥川賞候補に相応しい純文学っぷりで感服します。)

物語終盤、美砂乃ちゃんはグラビアアイドルに転向し、プロレスラーと結婚して引退したことが描かれます。美砂乃ちゃんは、自分だけの名前を得て救われることができたのでしょうか。それとも、「お嫁さん」という新しい役割を押し付けられただけなのでしょうか。

『##NAME##』を読んでからずっと、そんなことばかりを考え続けています。

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