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以前、ブレイディみかこ氏のエッセイ、『オンガクハ、セイジデアル』を読みました。
これは著者がイギリスの公立託児所(曰く、底辺託児所)で働いていた頃のエッセイで、かつて出版された「アナキズム・イン・ザ・UK」に加筆修正・分冊で文庫化された後編の本にあたります。
前編をとばしていきなり後編を読んだ形になりましたが、前後編といっても扱うテーマと読み味は大きく違いました。後編がイギリスの政治と音楽シーンが中心だったのに対し、前編の『ジンセイハ、オンガクデアル』は託児所での日常や、移民問題が拡大するイギリスで当事者たる移民としての生活にフォーカスされています。
それぞれ単独でも非常に楽しめたので、今回は前編の託児所編について書きたいと思います。
貧困層の子どもたちが集まるいわゆる「底辺託児所」保育士時代の珠玉のエッセイ。ゴシック文学的言葉を唱え人形を壊すレオ。「人生は一片のクソ」とつぶやくルーク。一言でわたしの心を蹴破ったアリス。貧窮、移民差別、DV。社会の歪みの中で育つ、破天荒で忘れがたい子どもたち。パンクスピリット溢れる初期作品。
-ちくま書房 説明文より引用
著者のブレイディみかこ氏は、イギリスで生まれ、イギリスの学校に通う息子について描いたノンフィクション『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(2019年出版)で一躍有名になったエッセイスト。
実は多産の作家として有名で、『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』以前にも11冊の書籍を出版しています。
本書『ジンセイハ、オンガクデアル』のもとになった『アナキズム・イン・ザ・UK』は比較的初期に出版されたエッセイで、イギリスでも「収入、失業率、疾病率が全国最悪の水準」といわれる地区の託児所でボランティア保育士をしていた頃の暮らしを綴ったものです。
歴史と文化のある国、イギリス。
世界でも有数の大学や博物館を有し、王室や貴族文化などの華やかな印象が強い国ですが、その裏側には階級と人種の深い断絶が横たわっています。ハイクラス・ミドルクラス・ワーキングクラス。それぞれの階級に属する人々は教育水準も生活区域も異なり、その違いは使う英語の発音にまで明確に表れます。
このエッセイが描かれた2010年頃に社会問題となったのが、ワーキングクラスのさらに下に属するアンダークラス(生活保護者)の存在。不況と共に数を増した彼らはイギリス国内の社会保障予算を圧迫し、荒廃した英国政治=「ブロークン・ブリテン」の代名詞のように扱われました。
著者が働いていたのは、そんなアンダークラスの家庭が多く暮らしている、ブライトン地区の一角にある無料託児所。
ブライトンはイングランド南東部にある海辺のリゾート地として有名だそうですが、一歩踏み込めば貧困がある。そういった二極化も近年の英国を象徴しているようです。
貧困。失業。あるいは人種差別や暴力までも生活の隣に横たわる地域では、当然、保育士生活も波瀾万丈。著者が働く『底辺託児所』には、日本では想像もできないような日常が広がっていました。
スラングまみれの口の悪さは序の口。情緒が未発達な子供は、内に抱える感情を暴力でしか伝えられないことも珍しくはありません。癇癪をおこして殴るわ蹴るわで済めば平和なほう。一歩間違えば大変な事故になりかねないような形で感情を爆発させる子すらいます。
「かわいらしい子供」のイメージからはかけ離れた小さな悪魔たちを相手にする保育士としての日常は、良くも悪くもエネルギーに満ち満ちています。
暴力はダメ。もっと綺麗な言葉を使おう。ちゃんとして。
問題を抱えた子供と接すると、どうしても「NO」を伝えることが多くなります。教育として必要ですし、甘やかすことは本人のためにならないから。それは社会的に正しい大人の姿です。
でも、底辺託児所にいる子供たちの日常は、いつだって「NO」に塗りつぶされています。 何が悪いかを教われずに育って、接する大人に叱られる。アンダークラスの子供として白い目で見られる。場合によっては、家族にすら存在を否定される。
そんな、「NO」と拒絶されてばかりの子供は、誰かに受け入れてほしいのかもしれません。
本書でとても印象に残ったのが、『極道児とエンジェル児ー猿になれ』という章でした。
このエピソードで登場するのは二人の2歳児。
一人が、暴力的でわがままな少女リアーナ。家庭内暴力の吹き荒れる過程で育った彼女は、力の加減も「これ以上はシャレにならない」という線引きもわかりません。何かが逆鱗に触れれば『乳児に鉛筆を突き立てたうえ、水槽に沈める』などという、洒落にならない暴力を振るう子供です。
もう一人が、穏やかな少年アレックス。この託児所には珍しく、破綻していない家庭でしっかりした大人たちに愛され、守られるべき存在として大切に育てられた子供です。
アレックスは託児所に来て早々、リアーナにおもちゃを強奪されて大泣きさせられています。苦手意識を持っても仕方ないのに、彼は後日、再度自分を虐げにきたリアーナにおもちゃを差し出し、にっこり笑って彼女を抱きしめます。 リアーナは何が何だかわからない表情をしつつも、やがてアレックスにつられるように微笑んで、穏やかに一緒に遊び始めました。
ベタな展開のように聞こえますが、ブレイディみかこさんのパワフルかつ繊細な筆力で描かれたこのシーンを読んで、私はほんとうに美しいものを見た、と思いました。
リアーナは何度保育士に怒られても宥められても、変わらず暴力を繰り返してきた筋金入りの問題児です。それなのに、アレックスはいともたやすく彼女と「普通の子」のように対等な関係を築いてみせた。自分に酷いことをした相手を許して受け入れるのは大人でも難しいというのに。
暴力しか知らないような子供もいれば、無償の愛を示す子供もいる。真反対のようなふたりが、ふとした瞬間に交わることもある。そんな託児所のワンシーンは、もしかしたら、様々な人種、階級が入り混じって生活するイギリスの日常そのものなのかもしれません。
本エッセイでもうひとつ印象に残っているのが、著者の高校時代のエピソードです。
荒れた中学を出て、いわゆる進学校へ通い始めた著者は、家が貧乏だったため通学用バスの定期代をバイトで賄っていました。ただ、それを咎める担任の言葉は「どうせ遊ぶための金が欲しいのだろう」と心無いものでした。
「定期を自分で買わなければならない学生など、今どきいるはずがない。嘘をつくな」
-ジンセイハ、オンガクデアル (ちくま文庫) p198
このエピソードは著者の他のエッセイやインタビューでもしばしば目にする話です。『育ち』や『環境』といったものによる分断、それによって見えなくされた格差について、これほど突きつけてくる話もそうありません。
日本は総中流社会だといわれ、貧困層はまるでいないかのように扱われます。「レベルに差こそあれ、ほとんどの人が大学まで進学して、就職する」そう考えている人たちにとって、中卒で働き始める人や高校中退して子供を育てる人たちはフィクションの存在のように感じるかもしれません。
ですが、階層の分断で見えづらくなっているだけで、貧困は確かに存在しています。この貧困が見えないように蓋をしつづけていった末路が、低所得者が溢れ、アナーキー(無政府状態)と化した英国社会の現状と言えるかもしれません。
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