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少し前に読んだ本を、久々に読み返しました。
個人出版社「夏葉社」を営む島田潤一郎さんのエッセイ『古くてあたらしい仕事』です。
元々会社勤めをしていた島田さんは、従兄弟の死をきっかけに退職し、33歳で出版社を立ち上げました。どうして個人で出版社を始めたか、どのような思いで本を作り続けているのか。それらが綴られた文章は、暖かな陽だまりに流れる小川のような雰囲気があって、読むほどに自分の中に染み入ってくるような感覚がします。
世の中、編集者の書いた言葉巧みで小気味よいエッセイや、タメになる仕事本はたくさんあります。本書がそれらと趣を異にしているのが、島田氏の抱える、祈りとも呼べるような信念や、《本を作る》ことに対する真摯さが軸になっている点。
よくいえば普遍的な、わるくいえば地味で歴史的すぎる印象の表紙からは想像できなかったほど、とても素敵な一冊なので紹介します。
「本をつくり、とどける」ことに真摯に向き合い続けるひとり出版社、夏葉社(なつはしゃ)。従兄の死をきっかけに会社を立ち上げたぼくは、大量生産・大量消費ではないビジネスの在り方を知る。庄野潤三小説撰集を通して出会った家族たち、装丁デザインをお願いした和田誠さん、全国の書店で働く人々。一対一の関係をつないだ先で本は「だれか」の手に届く。その原点と未来を語った、心しみいるエッセイ。
新潮社 文庫版説明文から引用
『古くてあたらしい仕事』は少し小ぶりなハードカバー。
一般的な文芸書(四六判)よりも一回り小さく、コンパクトなのにしっかりとした、不思議な存在感のある本です。
2024年4月に文庫版が発売されました
島田さんが一人で立ち上げた「夏葉社」は、比較的新しい形態の小規模出版社。
本づくりにまつわる全ての行程、すなわち、本の企画、作家への執筆依頼あるいは過去の書籍の復刊をするにあたっての許可取得、装丁デザインの依頼、そして出版、流通までを島田さん一人で行っています。
全ての仕事が一人に集中する代わりに、大手出版社では取り扱いが難しいような、「その本を求めるただひとり」に向けた本が作れるのが魅力だと島田さんは語ります。
夏葉社は1万人、10万人の読者のためにではなく、 具体的なひとりの読者のために、本を作っていきたいと考えています。 マーケティングとかではなく。 まだ見ぬ読者とかでもなく。 いま生活をしている、都市の、海辺の、山間の、 ひとりの読者が何度も読み返してくれるような本を 作り続けていくことが、小社の目的です。
「夏葉社」WEBサイトより抜粋・引用
島田さんが出版社を始める転機になったのが、転職活動の失敗と、従兄弟の死。
30を超えて働き口を探している中、高知の港町で、息子を失った両親の悲しみに寄り添うために手探りで刊行したのが『さよならのあとで』というイギリスの詩集でした。
遺された親族に向けた手紙のような思いで出版した詩集でしたが、その後、この本を読んだ、同じように大切な人を亡くした立場の人から、本の感想と大口の発送依頼が届きます。この経験から島田さんは、「それを必要としている具体的な誰かのために、求められ喜ばれる本を作ろう」との思いで夏葉社設立に向けて動き始めます。
「嘘をつかない、裏切らない、ぼくは具体的な誰かを思って、本をつくる。それしかできない。」
本書帯より引用
島田さんはかつて小説家を志望していたそうで、本書内の情景描写が非常に印象的でした。
『さよならのあとで』を出版したあと、室戸の海で従兄弟の遺品を焼くシーンがあるのですが、幼い頃から親しんた、兄弟のような存在を亡くした喪失感。それでも遺されたものは明日を歩んでいかなければならないこと。岩場の多い浜辺や、その砂粒、波間に散っていく灰まで眼前に浮かぶような描写は、小説でもそう無いほどにこちらの心情を揺さぶってきます。
この本を読んでいて特に強く感じたのが、島田さんの本作りに対する誠実さです。
たったひとりのために本を作る。大手出版社が作るような万人に受けるベストセラーではなく、具体的な人の顔を思い浮かべ、その人に寄り添える本を出版すること。大資本にできない事をするのが「小さな仕事」の価値であると誇りを持っている。今日、誰のために何をするか。
島田さんが真摯に本作りと向き合う様子は、まるで祈りのようにすら感じられます。
内容と合わせて注目したいのが、本書の装丁。
手に取ってみると、ハードカバーのしっかりした作り、かつ200ページを越える厚みなのに、非常に軽いことに驚きます。文芸書で一般的な四六判よりも一回り小さな作りで、新書とも違う独特の版型。しっくりと手に馴染んで負担にならない、読みやすい作りの本です。本書の版元は新潮社なのですが、大手出版社でこういった変わった版型の本を作るのは少々意外に感じるほど。
文中では、「本とは単に情報を紙に印刷したものではない。その形も重要なのだ」という島田さんの思想が語られていましたが、まさにそのこだわりを感じ取れる装丁です。
内容が良くても手に取られない本がある。そういう本は外見が抵抗感を生んでいたり、課題があることが多い。未来でも読み続けられる本を作るなら、本の装丁もしっかりと考え抜かれていないといけない。
ブックデザイナーの方とともに「どのような本にするか」を考え、仕事を進めるエピソードも描かれていましたが、島田さんの美学や思想が感じられてとても好きな章です。
『古くて新しい仕事』は、真摯な生き方に惹き込まれるエッセイでした。
島田さんが大切にしているのは、単なる営利ではなく、読者一人ひとりの心に響く本を作ろうという思い。ページを捲るたびに誠実さと情熱が感じられ、こちらも「あぁ、こういう素敵な考えで仕事をしたいな」と思わされます。
「本」が好きな人、情景描写の巧みな温かいエッセイを読みたい人に、文句なしに勧められる一冊です。
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