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地の文を通じて、主人公の思考、いや、思考未満の何らかの感覚を直接流し込まれる。
そんな衝撃を受ける小説でした。
『みどりいせき』は、集英社の純文学系新人賞、すばる文学賞の受賞作品。著者である大田ステファニー歓人氏は本作が初デビューながら、2024年の三島由紀夫賞も受賞した新進気鋭の作家です。
三島由紀夫賞の評価基準「文学の前途を拓く新鋭の作品」が示す通り、本作の思考直列、文字表現としてではなく若者の発話表現そのままに出力したような独特の文体からは、あまりにも鮮烈な印象を受けました。
このままじゃ不登校んなるなぁと思いながら、高2の僕は小学生の時にバッテリーを組んでた一個下の春と再会した。そしたら一瞬にして、僕は怪しい闇バイトに巻き込まれ始めた……。
集英社作品紹介より引用
でも、見たり聞いたりした世界が全てじゃなくって、その裏には、というか普通の人が合わせるピントの外側にはまったく知らない世界がぼやけて広がってた――。
本作品の特徴として一番に挙げられるのが、その独特な文体。
主人公の主観で語られる小説は数あれど、ここまで脳の中身を直接覗き見るようなライブ感で描かれた作品はそうありません。
話す言葉のままに綴られる地の文は、主人公の思考をや体調ををのまま表すように流れ、絡まり、時折掠れるようにうねります。きっと数ページも読み進めれば、その特異なリズムに飲み込まれることでしょう。
しかし今回はあえて、ストーリーを中心に紹介したいと思います。
主人公は、無気力な男子高校生・桃瀬翠。
物語は、小学校の野球チームでキャッチャーをしている緑が、相方に指示を出すシーンから始まります。しかし、キャッチャーフライを取り損ね、額に当たったボールによって、その意識は急速に遠のいていく。
一転した次のシーン。高校2年生になった翠の姿は、学校に馴染めず、かといって完全な不登校にもなれない宙ぶらりんです。
スヌーズでまたアラームが鳴ってるけど、それを止めたら起きるか決めなくちゃだしほっとく。決めるのが一番億劫。疲れる。
(中略)
昼過ぎに目が覚めて、スマホを見ると充電が切れていた。バッテリーがないんだから、アラームが鳴るわけないし、アラームが鳴らないんだから起きられるわけないんだし、僕は何も悪くない。明日の朝んなってまた参ったり、自分を責めたりしないよう、もう充電をしない、って決めた。決めたら疲れたからまた眠る。
「みどりいせき」作中から引用
無気力で、自己保身的で、浅い上に歪んだ考え。
生活に希望を見出せず、クラスでも孤立した翠が課外授業をサボった日、うっかり日付を間違って教室に行くと、そこで違法薬物のプッシャーをしている後輩達に出くわします。
そのグループ内にいた一人は、小学校でバッテリーを組んでいた少女・春。翠は彼女達が何をしているのか分からないまま、その場の雰囲気で大麻成分、CBD入りのクッキーを口にしてしまいます。
酩酊したまま、思慮の浅い善意で薬物売買の移動手段として自転車を駆り出した翠は、そのまま流れ任せに学生プッシャー達のコミュニティへ入り込んでいきます。
プッシャーグループの活動拠点であるマンションの一室に出入りしていたのは、春を含む後輩3人と、荒事に巻き込まれて入院していた高校3年の先輩、そして指示役をしている大学生が2人。
彼女達の会話には、独特な語彙や略語、隠語といったジャーゴン(内輪のみ通じる用語・造語)が踊ります。ノリ任せの「イマドキの若者ことば」と言えば聞こえはいいですが、仲間内だけで通じる共通言語には、一般社会から離れたコミュニティ内での連帯感を高める効果があります。
初めは居心地の悪さを感じていた翠も、趣味の音楽や映画、それらを味わうための薬物を共有するうち、学校や家では得られなかった安心感や帰属意識を覚えていきます。
彼のよるべの無さの根底は、明示的には描かれません。冒頭のリトルリーグでの失敗シーンが心に深い傷を残したのか、中学以降の部活や学校社会が肌に合わなかったのか、はたまた若くして亡くなった父親の影響か。
もしかしたら、翠は正当な方法では救済できなかったのかもしれません。
学校でただ一人、翠を気にかけてくれるクラスメイトがいたのですが、翠は頑なにその手を拒み続けます。これまでの挫折によって固められた無力感は「真っ当な人たち」からの言葉では溶かせないほどに強固だったのでしょう。
翠の自発性の無さや、思考や決定といった知能活動に対する忌避感は、作中で繰り返し描かれます。
印象的なのは、初めて薬物売買のための移動を手伝った報酬として、2万円を受け取ったとき。周囲の会話も、CBD入りクッキーを食べた自分の体調もあきらかにヘンなのに、状況の把握もできず「お菓子でこんな儲かる?転売?」とピントのズレたことを言いつづけています。
そんな翠が物語終盤、グループの「仲間」のために先を考え自分で決断し、ある行動を起こします。その行動は社会的には間違った行為であるし、意味のない悪あがきでしかないのかもしれません。それでも、自分のことばかりだった翠が、他人のために動いた。それはどんなに歪であろうと、一つの成長であり、小学校のリトルリーグで時間が止まっていた翠が前に一歩踏み出した瞬間でした。
本作で起きたことを、俯瞰した視点で雑にまとめてしまえば、「居場所がなく、後先を考えない主人公が、流れ任せにずるずると道を踏み外していく」というもの。
しかし、完全に間違った方向ではあるのだけれど、道を踏み外した先に翠は帰属できるコミュニティを得て、最後には、曲がりなりにも他者のために行動を起こせるようになります。
「成長譚」と素直に表現することはできなくて、考えること・決定することをサボり続けた主人公の向かう先はきっと破滅なのでしょう。それでも確かに「道」の外にも世界は広がっていて、そこには人との関わりがあって、救済があって、一歩前に踏み出すきっかけがあった。
文体から受ける印象と同じくらい、独特な感想を抱く作品でした。
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